「晴れの国おかやま国体」を翌年に控えた2004年、サッカー成人の部を強化する岡山県サッカー協会の方針に伴い、当時、岡山県リーグ1部で活動していた「リバーフリーキッカーズ」を母体として「ファジアーノ岡山」が産声をあげた。2005年から中国リーグに参戦すると初年度から2位の成績を残し、2006年には優勝を果たした。
それまで、チームに所属する選手の多くは、昼に仕事をして夜にサッカーの練習をするという環境にあった。しかし、2007年から練習を昼間に移行したことにより、仕事との両立が困難になった選手たちがチームを離れざるを得ない状況に陥った。一方で、現役時代に日本代表経験を持つ手塚聡氏を監督に招聘し、プロ契約選手も9名となったチームは、2007年の中国リーグで全勝優勝。見事リーグ連覇を果たし、全国地域サッカーリーグ決勝大会へ駒を進めた。
実力差のないチームが顔をそろえた決勝大会は、一試合も取りこぼすことのできない緊張感あふれる試合が続いたが、ファジアーノ岡山は見事優勝し、JFL参戦を決めた。
JFLでは、企業チームとしての在り方を貫くクラブがある一方で、年々、Jリーグ準加盟を目指すクラブが増えているのが現状だ。ファジアーノ岡山とJFLの同期になるニューウェーブ北九州やMIOびわこ草津も、岡山と同じくJリーグ入りを目指すクラブである。そのようなライバルがひしめきあうJFL。2008シーズンは「上位4位以内」がJリーグ入会の条件に設定され、最終節まで、どのチームがJリーグ入りするかわからない目の離せない大混戦となった。
そのような混戦のなか、中国リーグ時代から続く「堅い守備とタフな走力を基盤に、人もボールも自在に動くサッカー」を展開し、常に上位をキープしたファジアーノ岡山だったが、他のライバルの追随も激しく、最後はガイナーレ鳥取に勝点3差まで迫られた。しかし、加入条件の4位に滑り込み、JFL参戦1年にしてJリーグ入会を決めた。
2009年、チームは19名(※2/17時点)の選手を新たに迎え、44名の顔ぶれでJ2リーグに挑戦する。
Jリーグ参戦元年のチームキャプテンを務める川原周剛選手や、副キャプテンの丸谷明選手、岡山の強豪校である作陽高を卒業し、駒澤大から加入した森本勇一選手など、地元出身選手の活躍も「晴れの国」を大いに盛り上げ、より晴れやかな国にしてくれるに違いない。

地域リーグ時代からチームを知り、JFL、Jリーグ昇格へ大きく貢献した選手の一人。2007年の中国リーグでは、17試合で27得点、16アシストの大活躍でリーグ新記録を打ち立て、中国リーグ得点王とアシスト王を受賞した。2008年のJFLでもゴールを量産し、同チームの小林とチーム得点王の座を争うほどだった。彼の活躍はJFL新人王、そしてJFLベストイレブン受賞で証明されている。

2008シーズン、JFL参戦に伴い徳島から移籍。他チームの選手から「岡山のFWはJFLの中でも一つ飛び抜けている」と警戒されながらも、大型FWとしてシーズンはじめからコンスタントにゴールを量産し、シーズンで19得点をマーク。常に得点ランキング上位をマークし、得点王にあと一歩及ばなかったものの、タイトル争いを大いに沸かせた。数々のJクラブを渡り歩きプレーしてきた彼の豊富な経験が、今度はファジアーノ岡山というステージで大いに活かされるだろう。






