カターレ富山の母体となった2チームは、県内で競い合ってきた両雄。YKK APは1962年、YKKサッカー部として発足。アローズ北陸は1990年、北陸電力サッカー部として設立された。天皇杯全日本サッカー選手権大会の県予選では2007年まで12年連続して決勝で対決。北信越リーグ時代は、アルビレオ新潟(現 アルビレックス新潟)を交え優勝を争った。
県内では1994年に全国高校総体、2000年に国民体育大会が開かれた。スポーツへの関心の高まりに呼応し、両クラブは相次いで地域リーグ決勝大会を勝ち抜きJFLに昇格した。アローズ北陸は2000年、YKK APは2001年からJFLに参戦。切磋琢磨は高いレベルで続き、2005年にはYKK AP、アローズ北陸が2、3位を占めた。
富山にもJクラブ設立を ――。JFLでの活躍にファン・サポーターの期待は高まったが、YKK、北陸電力とも「アマチュアのトップを目指す」との方針を堅持した。Jリーグを目指した大同団結を両企業に訴え、クラブ統合を提案したのは富山県サッカー協会だ。2005年、協会内にJクラブ設立のための調査委員会を設置。全国各地のクラブが競ってJリーグ入りに名乗りを上げ、J2リーグの将来構想の検討が始まっていた。2006年秋、両企業に新クラブへの統合を正式に提案。2007年、県民の期待感の高まりを理由に両企業は合意し、カターレ富山が誕生した。
県内で影響力の大きい両企業の決断に応え、官民一体の協力体制が整備された。運営会社には、両企業を含む地元の主要25社が出資。2008年のスポンサー企業は約400社にのぼる。県はホームスタジアムの改修に着手した。県民のファン・サポーターの反応も大きく、開幕戦には10704人が来場し、1試合平均4306人が試合を観戦。ファンクラブにも約1万人が入会した。
両チームの主力選手で構成したチームは、YKK APから引き続き指揮した楚輪博監督のもと、「融合、そして躍進!」をスローガンに掲げて戦った。ライバル同士がひとつにまとまるには時間を要し、開幕10試合で3勝3分4敗の11位と出遅れた。しかし、チームは徐々に成熟して調子を上げ、後期途中で初めて昇格圏内の4位に浮上。終盤の負けられない戦いでも堅実に勝点に伸ばし、最終戦を残して11月23日に4位以内を確定させた。「1年で昇格」を目標に、苦しい時期にも粘り強く戦った選手たちは、ファン・サポーターの心をつかんだ。ホームでの最終戦、あいさつで感極まって言葉に詰まる浜野勇気主将に、スタンドから「ありがとう」の声援と温かな拍手が送られた。

「人もボールも動くサッカー」を目指すカターレ富山の司令塔。今季は主将にも選ばれた。J2初年度、チーム浮沈のかぎを握る攻撃の要だ。確かな技術と視野の広さで巧みに配球して相手守備を揺さぶる。周りの選手を動かして攻撃を組み立てつつ、常にゴール前へのラストパスのチャンスをうかがう。CKやFKでもキッカーの重責を担う。2000年から2003年のシーズンは水戸ホーリーホックでプレーし、チームの中で最もJリーグの出場経験がある。アローズ北陸から加入し、昨季はチーム最多タイの33試合に出場して2得点。J2は6年ぶりになるが、「経験を積んで、1試合1試合に気持ちを込めて戦うという集中力は以前より増した」と自信をみせる。

JFL通算224試合出場で103ゴール。クラブの顔ともいえるベテランFWだ。身長181cmのがっしりした体格を生かしたヘディング、ポストプレーが持ち味。加えて、泥臭く体を張るひたむきな姿勢がプレーに迫力を与える。低いクロスにも果敢に頭から飛び込み、前線からボールを追って守備にも貢献する。昨季はチームトップの15得点を挙げた。開幕戦で記念すべきクラブ初ゴールを記録したほか、Jリーグ入会がかかったリーグ戦終盤でゴールを量産するなど勝負強さも光った。YKK APがJFLに昇格した2001年に明治大から加入し、JFL新人王も獲得した。新たな舞台で貪欲に初ゴールを狙う。






