新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
サッカー指導者
2005年11月取材
ミズノフットサルプラザ潮芦屋 ミズノサッカースクール ヘッドコーチ

堂森勝利さん

ドウモリ・カツトシ
1976年、兵庫県生まれ。セレッソ大阪ユースからセレッソ大阪(1995-2000)を経てアルビレックス新潟(00)。その後、JFLのジャトコ・トランステクノロジー、佐川大阪SCを経て、05年9月引退。10月より、ミズノフットサルプラザ潮芦屋でサッカースクールの立ち上げに携わり、11月6日にオープンした。

Q 引退を決意した経緯をお聞かせください。
堂森:JFLにいって何年かは、Jリーグ時代と変わらないモチベーションがありました。しかし、チームが変わって風土の違いを感じたんです。昨年、キャリアサポートセンター(CSC)に相談したときは、とても悩んでいました。プレーを続けたかったのでがんばったのですが、だんだん気持ちの面で続かなくなっていることに気づいたのです。みんなに相談して、気持ちが途切れないうちに、今まで培ってきたものが伝えられる指導者になろうと決心しました。

Q ミズノフットサルプラザ潮芦屋でこの秋サッカースクールを立ち上げるという話があり、採用試験を受けられましたが、どうでしたか?
堂森:受ける前の気持ちは、とても楽観的でした。ミズノアルファーサービスのホームページを見て、潮芦屋はフットサルコートが4面もあるなんてすごい、こんなところで指導させてもらえるんだと、もう受かった気持ちでいました。出身地のそばというのも大きいポイントでしたね。正直言えば、私はどこでもよかったのですが、妻や子供のことを考えると、この地域は申し分なかった。ただ、実際受けた面接は、よかったのか悪かったのか、感触がわかりませんでした。

Q コーチをやりたいと思ったきっかけは何かあったのですか?
堂森:セレッソ大阪に在籍していたとき、最初は実家から通っていたのですが、そばに武庫川があって、よくひとりで河川敷でボールを蹴っていたんです。そこにはサッカーコートがあって、いっぱい子供が遊んでいるんですよ。子供たちともよく一緒にボールを蹴りました。どちらかというと楽しく指導していた、という感じ。その中の一人は、当時小学校4年生だったのですが、高校3年生になった今でも親交があるんですよ。そのとき感じたのが、子供を教えるのは面白いな、ということ。この体験が根っこにあるんでしょうね、引退して何をするかということについて、迷うことはありませんでした。

Q サッカースクールのコーチだけでなく、フットサル場の経営や運営にも興味があったそうですね。
堂森:妻の実家が自営業を営んでいて、自分たちでいろいろ工夫して事業をやるというのも楽しそうで経営にもあこがれていました。ですから、デスクワークやフロントの接客業務などにも興味があり、いろいろやらせてもらっています。ここで立ち上げから携われたのは、私にとっては最高でした。実際に、デスクワークは結構はまっています。電話や接客は問題ないですが、レジ操作はまだ苦手です。それから、スクール事業部の部長に練習メニューをメールで送ってアドバイスをもらうので、パソコンは必須です。文字を打つのは問題ないのですが、まだ一連の操作が覚えきれていない。選手時代、家にパソコンはあったのにインターネットで情報収集しかやっていませんでした。そのころ使いこなしておけばもう少し楽だったですね。

Q 初日のスクールが終わってみてどうですか。今日は関東からのサポートもありましたが、これからはヘッドコーチとしてやっていくわけですね。プレッシャーはありませんか?
堂森:サッカーをやっていたから、すぐ指導者になれるという考えは甘い、と実感しています。選手と指導者はまったく別。高校生や大学生を教えるなら話をすれば分かってくれるでしょうが、小学生や幼稚園の指導というのは、サッカーをやっていたらできるというほど簡単じゃない。特に、サッカーをやったことのない子とある子の差があるときにどう対応していくか、というあたりに難しさを感じています。でも、自分にとってオープンから責任を持ってやらせてもらうほうが成長できると思っています。今は、今日手伝っていただいた先輩たちからアドバイスを聞いて、何でも吸収していきたいと思っています。

Q 練習メニューなどはどうしているのですか?
堂森:自分でメニューを書き、配置などの絵を描いて補助の人に説明しています。そして、終わった後は毎回反省会を行っています。今日は、1〜2年生はメニューどおりできましたが、5〜6年生は、100人ぐらいの大人数になったので、予定していたメニューを急遽変更しました。反省会でどういう意図でメニューを変更したかを説明しました。先輩からは、上手くいかないときにどうするかの引き出しを持っていればいるほど得をする、といわれました。今は、毎回が勉強です。もちろんコートに立っているときだけでなく、フロントにいるときも勉強。掃除も全部やりますし、夜中までビブスを整理したり、今はすべてが面白いです。自分がやりたかったことが見つけられた感じで、仕事にはまっています。

Q これから、サッカースクールをどうしていきたいですか?
堂森:小学生がメインのスクールなので、特に低学年(1〜2年生)にはできる子とできない子の差があると思うのですが、サッカーのできない子にはボールを使うことの面白さを、できる子には、もっと上手くなったらこんなことできるんだよと、僕がパフォーマンスを見せながら次のステップに導いていきたいです。
 そして、小学生の子供たちが高校生ぐらいになって、ここにフットサルをしに来てくれるようになればいいな、と思います。どういう形にしろ、サッカーを好きになって、サッカーを続けてくれて、いつか原点に帰ってきてくれるような場所にしたいです。

■上司はこう見る

ミズノアルファーサービス株式会社 取締役 西日本事業担当 兼
ミズノスポーツプラザ潮芦屋 総支配人 松原克史さん

 関東ではすでにサッカースクールを行っていますのでノウハウはあります。それに、堂森君の元Jリーグ選手としてのパフォーマンスを融合させれば、より高い価値になると思います。子供たちにはサッカーの楽しさと同時に、技術アップのための正しいトレーニング方法など厳しさも伝えてほしい。そうすることが、潮芦屋の価値を高めていく近道ですし、それを西日本の事業拡大の強みにして、実績につなげていきたいですね。すでに堂森君は子供たちに「あのコーチすごいよ」、と同時に「面白いよ」と言われているようです。関西の子供たちや保護者の方といい関係をつくってくれるのではないかと期待しています。
 将来的には、この環境で育った子供が日本のトップ選手になって、ルーツはどこかといったときに、ちゃんとしたサッカーを習った最初の場所が潮芦屋のスクールだったということになればうれしいですね。そういう面でも地域に貢献していきたいし、ひいてはミズノブランドのイメージアップにつながると思うのです。

ミズノアルファーサービス株式会社 ミズノフットサルプラザ潮芦屋 支配人 藤井績当さん
 堂森君はJリーグという日本のサッカーでトップまでいった一握りの人。その経験を伝えてもらうことは説得力があるし、子供たちの目指すべき存在になりますね。まだ29歳と若いし、子供たちからも好かれているし、価値は非常に高いと思います。
 潮芦屋は西日本での直営の1店舗目。今後展開していくなかで、堂森君には西日本のスクール事業部のヘッドコーチとして活躍してほしいと期待しています。関西のやり方は堂森君がつくれと話しています。
 今までは立ち上げで忙しかったけれど、これからは専門分野に力を注げる時間ができてくるので、早く堂森スタイルをつくってほしい。もちろん何度か修羅場もあるだろうし、くじけることもあるでしょうけど、彼ががんばってくれれば、今後、Jリーグ選手を受け入れる門戸も広がるでしょう。