新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
サッカー指導者
どこで人のつながりが生きるか?わからないからこそ大切だった
金 晃正
2004年「Off the Pitch」取材
セレッソ大阪 西U-15監督

金 晃正さん

キン・テルマサ
1975年、大阪府生まれ。現役時代はFW。阪南大学を卒業後、98年にジェフユナイテッド市原に加入。2000年にJ2のヴァンフォーレ甲府に移籍。2001年4月、韓国Kリーグの蔚山現代に移籍するも、同年12月に退団し帰国。Jリーグ通算40試合出場6得点。独身。
指導の楽しさを感じたことで現役への未練を絶ちきった
 セレッソ大阪からコーチ就任の話があっても、現役に未練がありました。いま、U-15のコーチである清水和男さんから、声をかけてもらったときのことです。
 もう何年も連絡は取り合ってなかったんです。大学時代、トレーニングジムで仲良くなったんですけどね。ちょうどお互い、現役か引退かで悩んでた時期で。彼は一足先に、セレッソ大阪のコーチに就任して。「人手が足りないから来ないか」と誘われて、自分もお世話になることになったんです。
 つながりってスゴイなって、改めて思いましたね。実は、再会した場所というのは自分の母校でもある大学のトレーニングジム。たまたま鉢合わせしたんですから。
 恥ずかしいんですけど、指導者として生きていく覚悟ができたのは、就任1年後でした。この1年間で、選手たちがうまくなったという手応えを感じて、うれしかったんです。現役時代と違い、自分以外の人をうまくさせるには、と考えるようになりましたしね。
 それにしても、いきなり去年の4月から監督ですから、驚きましたよ。ほかのスタッフは、手が空いてなかったのかも(笑)。
 指導者としてまだまだですけど、週に1回開かれる勉強会で、いろいろ吸収しています。コーチが全員集まって練習方法を議論したり。コーチ同士で指導方法をチェックし合ったり。ほかのコーチからダメ出しされることも多いですけど、レベルの高さは、プロのクラブならではじゃないかと思っています。
 Jリーグのジュニアユースチームですから、選手たちに競い合う緊張感や危機感が感じられないと怒りますよ。「なぜ、ここにいてるんや」って。プロを目指すんだろって。一人でも多く、トップチームに上げてやりたいですから。目標は高く、気持ちは強く、持ってもらわないと。
指導者になるまで
2000年
1月 地域スポーツ指導員C級(現・公認C級コーチ)を取得
Jリーグの選手枠で受講。とりあえず取っておこう、という感じ。
2001年
12月〜 韓国Kリーグより帰国
いくつかのJリーグクラブのセレクションを受けるが不合格。
2002年
1月 焦りや不安がピークに
現役続行の意志は固いものの、行き先が見つからなかった。
2月が近づくにつれ、不安はピークに。人生の中でいちばんつらい時期。
2月上旬 セレッソ大阪からの誘いが
オーストラリアやシンガポールのリーグへの移籍を検討するも、4月まで待ち。
U-15コーチの清水和男氏を通じ、セレッソ大阪のコーチ就任の打診を受ける。
2月下旬 セレッソ大阪にお世話になることに。
現役への未練はあったが、両親や大学時代の恩師などに相談し、決断。
U-12のコーチとして、近畿11カ所のサッカースクールで指導を行う。
シーズン中 現役への未練を断ち切れず、中途半端な状態
指導中は集中していたが、指導後に落ち込むこともしばしば。
12月 指導者の道を歩むことを改めて決意
セレクションも合同トライアウトも受けず、現役をきっぱりとあきらめる。
U-12のコーチとして、近畿11カ所のサッカースクールで指導を行う。
2003年
2月 西U-15の監督に就任。
西宮や尼崎近辺の中学生を対象としたチームが発足し、同時に就任。
2004年
〜12月 公認B級コーチを受講中
セレッソ大阪の枠にて受講。昨年は多忙のために行けなかった。

●発足2年目の西U-15

昨年は、U-15のチームセレクションを受験した子供を中心に、金さん自身が勧誘。15人を集めるというあわただしいスタートだった。今年はセレクションを行い、新たに18人が加入し、計33人に

●指導に正解はない

「選手にはこれができなければ、という技術、基準があると思うんです。でも指導者は、厳しく注意する人もいれば黙っている人もいる。正解はない仕事だと感じています」

●トップチームからの要望

トップやユースチームの指導者との交流は、週1回。「こういう選手を育てて欲しい、という要望も当然、あります。それに応えられるように、指導をします。それが、ジュニアユースの監督の、務めです」