新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
サッカー指導者
現役に対する執着心が指導者としての自信となった
小峯隆幸
2009年「Off the Pitch」取材
学校法人帝京蒼柴学園 帝京長岡高等学校
保健体育科非常勤講師 サッカー部特別コーチ

小峯隆幸さん

コミネ・タカユキ
1974年埼玉県出身。帝京高校、順天堂大学を経て98年JFLの東京ガス(現FC東京)に練習生として参加後、加入。2003年シーズン途中よりベガルタ仙台へ期限付移籍。04年柏レイソル、05年徳島ヴォルティス、06年からはFC岐阜(東海リーグ-JFL-J2)でプレーし08年シーズン後に引退。Jリーグ通算156試合出場。
限られた時間の中で生徒達に何かを与えたい
 高校3年間。その限られた時間を部員たちと一緒に過ごす中で、自分の経験を伝えられれば幸せかなと思っているんです。
 現役時代から指導者になりたいと思っていましたし、何よりサッカーを通じて人間的にも成長できたのでその恩返しというか……。特に高校時代はいろんな意味で思い出深い時期ですし、指導者としてスタートするなら、この年代を最初に教えたいと思っていました。何より監督の谷口さんは高校の先輩。いちばん先に声をかけていただいたので「はい、わかりました!」って感じです(笑)。
 指導者としてはまだ1年目。練習メニューは現役時代のことを思い出しながら、手探り状態ですね。ただ、走ることも含めて「これは絶対やっておかなきゃいけないんだよ」というのはありますし、何よりもまずはそのことを伝えていくのが先決だと思っています。
 またプレー以外でも「サッカー選手としてこれはダメだぞ」という基準があります。それは生活態度であり、身だしなみであり、あいさつであり……そうした普段の生活態度が自然とサッカーに表れてくる。「人として成長したときに選手としても成長する」。生徒はうんざりしているでしょうけど、高校時代がすべてのベースだと思っているので。
 実際、自分も20代後半になってから気づかされたことが多かったんですよ。「ピッチ内もピッチ外のことでも、(あのとき指導されたことは)こういうことだったんだな」と。だからこそプロになれたし、長く続けてこられたという、自分自身の体験としての裏付けがありますから。
 帝京高校時代の古沼先生をはじめ、FC東京時代の大熊監督、長澤徹コーチ……いろいろな方に教えを受けましたが、どの方にも共通しているのは「やる以上勝たなければいけない」ということ。少なくとも自分はそう感じてきました。だから指導者となった今「勝ちにこだわる。勝つためにやりきる」のが信念です。
 たとえ「古くさいサッカー」とからかわれようが、どんな内容でも勝った方に何かが残るんです。どんなサッカーをしていても、うまいヤツはその中でうまくなっていけばいい。自分自身、サッカーで負けるのだけはホントに嫌ですからね。負けて反省することはあっても、学ぶことはないですよ。その違いをきちんと説明はできないですが、反省と学ぶのは違うと思うんです。
 11年にわたるプロ生活、いいときも悪いときもありました。けれど、いつも“気持ち”で生き残ってきた。自分にとって宝物といえる経験ですし、子供たちにも誇れるもの、伝えてやりたいことです。いろんなカテゴリーで、長くプレーし続けてきたからこそ今があるとつくづく思います。
指導者になるまで
〜2007年   帝京高校サッカー部では古沼貞雄監督(当時)のもと全国高校サッカー選手権大会優勝を、順天堂大学では総理大臣杯とデンソーカップ優勝を経験。大学卒業後は、J1から地域リーグまで計5クラブ11年間にわたりプレー。ベガルタ仙台で戦力外通告を受けた際、引退後のことを考え公認C級指導者を取得。
2008年   シーズン終盤、クラブより戦力外通告を受ける。カテゴリーにはこだわらず現役続行の希望をもっていたものの縁がなく、トライアウトが現役最後の試合に。CSCを通じて高校やスクールの話を聞くも、帝京高校時代の1年先輩であり帝京長岡高校サッカー部監督である谷口哲朗氏の誘いを受ける。昨年末に続き声をかけていただいたこと、教職員に高校時代の同級生がいること、部として「日本一になろう!」という明確な目標を持っていること、などがその理由。
2009年   2月からレギュラー組を任され指導を開始。同時期に体育教師の空きが出たため、1年契約で非常勤講師として週12コマの授業を受け持つことに。大学時代、「深く考えずに取得した」教員免許が思わぬ形で役立った。子供の教育環境などもあり、単身赴任中。生徒たちが住むアパート(寮)の一室を借りている。サッカー部は春季プリンスリーグで12チーム中3位。新潟県内では4強のひとつ。
小峯隆幸さんの指導風景