新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
企業経営・自営
日本のスポーツ文化に貢献したい、その一念でフットサル場運営から事業拡大
坂口健司
2007年7月取材
JFCスポーツバンガード株式会社 代表取締役社長

坂口健司さん

サカグチ・ケンジ
1975年、埼玉県生まれ。武南高校から93年浦和レッズに加入。その後、ヴァンフォーレ甲府、ジャトコFCに移籍し、98年シーズンで引退。02年、浦和美園にフットサル場をオープンした後、全国展開を視野に入れ03年ジャパンフットサルコートを設立。07年5月にはテニスコートのオンライン予約事業などを行う、スポーツバンガード社と合併、JFCスポーツバンガード代表取締役社長に就任。
現役を引退してから3年でフットサル場運営会社を設立
 高校卒業後、プロになった坂口健司さんには「日本代表、W杯出場」という大きな目標があった。しかし6年後、その思いはついえた。
 「でも、この挫折が今の私の原動力になっています。もう同じ思いはしたくない。二度と目標を見失いたくはない。だから、頑張れるんです」
 現在、坂口さんは、従業員160名を抱えるJFCスポーツバンガードの代表取締役社長を務めている。同社は、フットサルを中心としたスポーツ施設の運営をはじめ、スポーツスクール運営、スポーツイベントの企画・運営、スポーツマネジメントなど幅広い事業を展開しており、近い将来、株式上場も視野に入れている。
 02年4月にオープンした浦和美園のフットサル施設を出発点に、わずか5年半でここまで成長したことになる。しかし、現役引退からフットサル施設のオープンまでには、紆余曲折があった。
 「最初に検討した指導者の道は、生計が成り立ちにくいため断念。就職した生命保険会社も『日本のスポーツ文化に貢献したい』という大きな目標を実現するため1年半で退社しました。その後も、警備員のアルバイトをしたり、参議院議員をされていた釜本邦茂さんのところで働いたことも。現役を引退してからフットサル施設をオープンするまで、3年くらい右往左往していた計算になります」
 この間に、フットサル施設運営という仕事に出合い、本屋や図書館に通って経営のこと、スポーツ施設の設立、運営方法といった知識を補い、住宅地図をもとにフットサルコート3面分、およそ1000坪の土地を探したりもした。同時に、人との出会いを求めて、さまざまな集まりに足を運び、フットサル施設オープンの話を熱く語って回ったという。
 「振り返ってみれば、今の私があるのは、人との縁に助けられたところが大きい。フットサル施設運営についてもフットサル仲間から話を聞いたのがきっかけでした。浦和美園の土地もサッカー少年団のコーチをしたときに知り合った設計士の協力があったおかげで見つかったのです。釜本さんとの出会いも、会社設立時の出資金の工面も、こういう人とのつながりによって実現したのです」
 その後、テニスコートからフットサル施設への転用が増えてきたころ、テニスサイト運営会社スポーツバンガードと知り合い、同社のインターネット事業に魅力を感じ07年5月に合併、一気に事業も多角化した。
 「知識は、本で学ぶことができる。目標に向かって努力するのは、プロで培った経験をそのまま生かせばいい。努力していれば、自分の思いに賛同してくれる仲間がきっと協力してくれる。苦労はあっても実現不可能なことはないと思います」

■独立を目指すあなたへ

引退後の人生では挑戦する機会は何度もある
現役選手でいられる期間は限られています。長い人生で見れば、それは短い間でしかありません。しかし、プロのときよりも、その後の人生は長く、何度でも挑戦できる機会はあるのです。そして、目標を実現するための努力は、プロよりも楽なものだと感じています。プロとして力の限りを尽くした経験があれば、思いは実現できるはずです。

坂口健司さんの仕事風景
独立までの経緯
98年 23歳 プロを引退した後、生命保険会社に就職
ジャトコFCから戦力外通告を受ける。若い世代の実力と自らの力を比較し、現役続行を断念。サッカー指導者の道を探したが、生計を立てるのが難しいと知り、一度、社会に出てみようと生命保険会社への就職を決意した。
99年 24歳 生命保険会社を退社し、独立に向けて準備を始める
現役選手としてプレーしている同期の姿を見るうちに、「彼らをサポートする仕事をしたい」と考え、そのためにまずできることを模索。スポーツをより楽しめる環境づくりに貢献しようと、フットサル施設運営会社の設立準備に取り掛かる。
02年 27歳 浦和美園にフットサル場第一号店をオープン
オープン当初は経費を節約するために、自宅のある神奈川から埼玉県浦和に単身赴任。すべての業務を一人でこなした。3カ月ほどで、予約しなくては利用できないほどの盛況ぶりを示す。その後、全国展開を図り、07年合併により事業拡大。
07年 32歳 株式上場を目指し、さらなる成長に向けて奮闘
日本のスポーツ文化を発展させるには、サッカー日本代表がW杯で優勝するのが近道。そのためには、世界一のクラブを持ちたい。今は、その資金をつくるため5年で420店舗のフットサル場開設という高い目標を掲げ、そのために株式上場も視野に入れている。