新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
サッカー指導者
大学でサッカーをする意味を、生徒たちに考えてもらいたい
鈴木秀生
2006年「Off the Pitch」取材
江戸川大学 講師・サッカー部監督

鈴木秀生さん

スズキ・ヒデオ
1975年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のユースから、94年にトップチームへ昇格するも1年後に指導者の道に進むことを決め、国際武道大学に通い教員免許を取得。筑波大学コーチ学研究室の研究生を経て、2000年より江戸川大学のサッカー部監督に就任。
サッカーを通して、自立してほしい
 サッカーだけやってればいい、というのではなく、大学でスポーツ活動をすることに、もっと意味を持たせたい。大学におけるクラブとはどうあるべきか、ということを考えだしたのが、この4年間でしょうか。
 江戸川大学に来て今年で6年目。今年からスポーツビジネス研究所の講師になりました。正直、これまでと何かが劇的に変わったということはありません。サッカー部という現場に責任を持ち、やりたいことを認めていただいた部分もあります。加えて、研究所の講師として「地域とスポーツ」という研究課題をもっと研究できる立場になったということでしょう。
 トップレベルの大学に比べれば、スタッフレベルも環境面もまだまだ。研究所に所属して、そういうグラウンドレベルの現状を伝えやすくなった。照明をつけていただいたり、グラウンドの整備、防球ネットを張っていただいたり、この6年間の働きかけが少しずつ実現。自分はスポーツで、ほかの先生は他学科で学校を魅力あるものにしようとしています。
 今年も関東大学サッカーリーグ2部昇格を目指しましたが、千葉県大学サッカーリーグの壁は厚い。まだまだ歴史も伝統もこれからという大学のサッカー部に将来有望な選手が急に来るわけではない。でも日の目を浴びなくても実力のある選手はたくさんいる。関東圏はもちろん、今年の夏休みには東北まで出かけてスカウト活動を行っています。
 競技としてしっかり結果を出していくのはもちろんですが、同時に、卒業するときにはしっかり自立してほしいという気持ちもまた、強いんです。だから自立したチームづくりを目指しています。今年から、部に女子マネジャーは一人もいません。ボールや水も自分たちが用意したうえで、自分たちのやりたいサッカーをやる風土になっています。
 また、始めて3年になりますが、わたしが担当する「サッカーと地域経済」という講義を受講すると、「JFA公認キッズリーダー」の資格が取得できるようになっています。
 毎年、学園祭に近所の10歳以下の子供たちを集めて、サッカー部の生徒たちも加わり指導を体験するんです。100人くらい集まった子供たちに、同じく100人くらいの学生たち……。たとえ一日でも指導することで得るものがあります。
 実際、学園祭を終えると、学生同士で「指導って面白い」なんて話している。サッカー部の選手たちも指導者としての視点を持つことで、一段と成長してくれると思います。
 生徒たちと毎日顔を合わせていると「4年間って長いな」と感じるんです。でも人生においては一瞬にすぎない。長いようで短いこの時間、手を抜くことなく指導したいです。
指導者になるまで
中学時代   高校サッカー部と、育成の専門機関であるJリーグクラブのユースとの違いを目の当たりにしていた。「将来は指導者になりたい」という気持ちを抱く。
1994年
シーズンオフ
  1年間、トップチームのレベルを肌で感じ、Jリーグ選手としての将来に不安を覚える。ユース時代3年間お世話になった神戸氏(現・名古屋グランパスエイト ユースアカデミー総監督)に相談するなどして、大学進学を決める。
1995年   指導者になるための選択肢のひとつとして、中学・高校体育の教員免許が取れる国際武道大学へ推薦入学。サッカー部でも2年時からレギュラーとして活躍する一方、ケガも多く、計3回の手術を経験。3年時、周囲が就職活動を始める中、自身は指導者としての勉強をさらに深めようと大学院への進学を模索。
1999年   田嶋幸三氏(現・日本サッカー協会専務理事)や小野剛氏(現・日本サッカー協会技術委員長)が所属していた筑波大学研究室に研究生として入る。大学院で授業を受けながら、両氏の下でS級ライセンス寄附講座を手伝う。
2000年 4月 知人を通じて江戸川大学より誘いを受け、学んだことを早く現場で生かしたいと、非常勤講師としてサッカー部の監督に。03年、公認C級指導員資格を取得。04年より教務職員、今年から専任講師に就任。公認B級指導講習を受講中。
鈴木秀生さんの指導風景
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