新しい世界への扉を押し開いた元Jリーガーたちの軌跡です
(OB紹介パンフレット「Off the Pitch」より)
学生
ビジネスやマネジメントを学び、視野を広く持って、次に備える
渡辺光輝
2007年「Off the Pitch」取材
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科 科目等履修生

渡辺光輝さん

ワタナベ・ミツテル
1974年、静岡県生まれ。早稲田大学卒。柏レイソルで7年間プレーの後、ガンバ大阪へ。2005年ガンバ大阪のJリーグ初制覇に貢献。06年に横浜FCへ移籍したが、股関節の故障でプレーができず、引退を決意。2007年4月より早稲田大学大学院の科目等履修生となり、次の進路を模索中。

正規の授業は18:00〜21:00。しかし時間があれば早めにキャンパスに行き、図書館やパソコンルームに赴く。パソコンは今後、必須。学生になって、さまざまな分野の本を読む機会が格段に増えた。


一緒に歩いているのは同じスポーツ科学研究科で学ぶ学生。修士課程には、陸上競技や卓球などスポーツ各界の有名アスリートのほか、出版社重役や広告代理店、スポーツの後援に理解を示す企業経営者など多種多彩な業界の人々が数多く集う。授業後の交流も参考となる。

ケガにより引退を決意。次への準備不足で焦りも

 ガンバ大阪がJリーグを初制覇した2005年、右サイドバックの渡辺光輝さんが横浜F・マリノス戦で決めた印象的なバックヘッドのゴールは、今なおファンの記憶に残る。
 翌年、横浜FCに移籍。しかし、股関節を故障。1年が瞬く間に過ぎた。「イメージしたプレーができないことが最もつらかった」と渡辺さん。
 柏レイソルで7年、2年在籍したガンバ大阪では優勝にも貢献。「十分やりきったかな」という思いもあった。横浜FCで試合に出られなかったという悔いは残る。しかし慢性化していた股関節の故障は、一時的に回復に向かうが、プレーすると再発を繰り返す。戦力外通告をもらったとき、「区切り」と引退を決意した。
 「ただ次に何をやろうかと思うと、迷ってしまって」と渡辺さん。選手時代に協会公認のB級ライセンスを取得していたものの、あくまでも現役にこだわりプレーに集中して、セカンドキャリアのことはあまり考えなかったという。そこで渡辺さんは、高校、大学のサッカー部の恩師や先輩、CSCのスタッフにアドバイスを求めた。「自分自身焦っていました。妻と2人の子供もいる。収入が途絶えるし、何かコレと思う仕事を決めなければ」と。

次のテーマを探すために大学院での学びを選択

 そんな渡辺さんに周囲は貴重なアドバイスをくれた。「少しゆっくり考えれば」「1年くらい遊べよ」と。
 母校の大先輩でもある川淵三郎キャプテンに引退の挨拶に行くと「これからどうするんだ。企業もいいけど、海外留学してMBAを取るのもいいぞ」と励まされた。「大学やビジネススクールで学ぶのもいいかな」と思うようになった。すると母校の大学院で広くスポーツビジネスやクラブマネジメントが学べるスポーツ科学研究科があることがわかった。
 だが時すでに遅く、入試は終了。しかしよく調べると同研究科の社会人コースの科目等履修生の募集が残っており、履修生となれば1年間、同等の講義が受けられることを知る。すぐに応募し、面接をクリアした。
 現在は大学院にて間野義之先生の「スポーツクラブビジネス論演習」を履習。法律や会計などマネジメント系の科目の勉強も始める。この8月からは日本サッカー協会が主催する、SMC(スポーツマネージャーズカレッジ)の受講も開始した。
 今、渡辺さんにはおぼろげながら、やりたいことが見えつつある。「クラブ経営のマネジメントと、サポーターに愛されるチームづくりをうまく融合できないかと思って……」。
 「コレと思う方向性」を渡辺さんは「学ぶこと」で見いだしたようだ。

■大学生活のOne Day

8:00〜12:00 起床・遊びと学習
現役時代はできなかったわが子(5歳と2歳)と遊ぶ時間とSMC本講座の予習・復習、課題作成に取り組む時間に充てている。
13:00〜18:00 キャンパスへ
時間の許す限り、キャンパスへと足を向けている。図書館やパソコンルームもフル活用。
18:00〜21:00 講義
「スポーツクラブビジネス論演習」の講義へ。
21:00〜22:30 懇談&飲み会
時折、授業終了後、さまざまな業界に務める履修生と懇談を兼ね交流。視野が広くなる。
23:30 帰宅&就寝

■MONEY

入学金・授業料 自己負担
生活費(月) 自己負担
基本的には、入学金・授業料、生活費は、Jリーグ時代からの蓄えから捻出。日本サッカー協会主催のSMC本講座の受講料20万円も同様。「この1年間は充電期間として妻も見守ってくれていることにはただただ感謝。納得のいく、次の進路を科目等履修生期間が終わる、半年後には定めていきたい」と言う。