Q 司法試験の二次試験合格おめでとうございます。しかし驚きでした。実際、どれくらいの期間かかったのですか
ありがとうございます。そうですね。正確には、司法試験は一次試験がありまして、大学を卒業していると免除なんですね。二次試験に、択一試験、論文試験、口述試験があり、3つのカテゴリーに分かれているということになります。論文試験に受かると、最後が9割以上受かる口述試験なのですが、論文試験などを通ってきた人のさらに1割が落ちるわけですから、結構心理的にはきついですね。かなり緊張しました。口述試験は、学者の先生と40分ぐらい一対一で問答するのです。知識があいまいだったり、あやふやなことを言うと、先生は突っ込んできますから、ヒヤヒヤものでした。
司法試験にチャレンジしようと考えたのは、2000年の12月に天皇杯に負けてサッカーを引退したあと、それから2カ月ぐらい何をしようかなと考えて。翌年の2月の初旬ぐらいに決意して予備校を探し、本格的に勉強を始めたのは、01年の5月に予備校の授業が始まってからですね。決意してから4年半かかりました。
Q Jリーグでは、ガンバ大阪に所属されていましたよね。その後のサッカー歴を教えてください。

▲93年6月12日 ガンバ大阪−ヴェルディ川崎戦に出場
ガンバ大阪で2年、ヴィッセル神戸1年、その後アルビレックス新潟2年と、プロ契約で5年。それから横河電機のサッカー部で3年間アマチュアでプレーし、サッカー中心の生活は大学出てから8年間でした。横河電機のときは、サッカーをやることが先に決まって、じゃあ、仕事をということで、関連会社で、最初は社員ではなくアルバイトで1〜2カ月ぐらいファイルの整理や、年末調整の手続きだとか、事務処理の補助をしました。そのときワード、エクセル、アクセス、パワーポイントを覚えろといわれて、夜、家に帰って勉強しました。
2カ月ぐらい経って、横河電機でサッカーを頑張っていくのであれば、正社員にということでアルバイトをしていた関連会社に正社員として入社して5年。やはり最初は、事務的な仕事でしたが、最後の2年は営業をしていました。朝から夕方まで仕事で、サッカーをやっているからといってまったく考慮はナシ。練習も午後6時45分からビッシリやって、忙しいときは、練習が9時に終わって、会社に戻って次の日の資料を作成したときもありました。まだ20代後半で若かったからできましたね。横河電機は、みんながそういう雰囲気でした。
Q アマチュアで、仕事しながらプレーするという環境はどうでしたか?
グラウンドは土で、でこぼこで、着替える場所はほとんどなくて、シャワーも1つか2つでたまに壊れる…。環境は最悪でしたけど、一緒にやっていた選手には、プロのときに忘れていたような、サッカーが好きという目の輝きがありました。プロのときは、やっても成功しないだとか、試合に出られないという苦しい思いをたくさんしましたが、彼らは、いい意味での、サッカーが好きだからそれだけでなんの対価もなく頑張っている。それが新鮮で、そういう気持ちを経験したのはアマチュアやってよかったと思いますね。忘れかけていた、サッカーだけを究極に楽しむとか、好きだった気持ちというのが出てきた。だから頑張れました。