2003年「Off the Pitch」取材
FC. FERVOR(フェルヴォール)スーパーバイザー
安原成泰さん
ヤスハラ・ナリヤス
1968年、愛知県生まれ。現役時代は MF。大阪商業大学卒業後、トヨタ自動車を経て92年、名古屋グランパスエイトに加入。94年に戦力外通告を受ける。J1通算6試合出場。翌年ウルグアイに渡り、リーベルプレートに加入。96年、帰国し本田技研工業サッカー部に加入。99年、ひざの限界を感じ現役引退。JFL通算18試合出場。

ボールが友達だった。その楽しさを伝えたい
駐車場での車の誘導作業。これが安原さんの指導者としての第一歩だ。本田技研でコーチに就任した直後に開催された、ホンダカップの手伝いである。
「ああ、イチからやるってこういうことか、と。たまたま知り合いに見られて『お前、何やってんの』って声かけられてね。でも思いますよ。あの経験があるから今があるんだって」
華やかな世界から一転しての裏方。その落差は大きい。だが、それができるかどうかが、コーチとしてやっていけるかどうかのひとつの目安だという。
「これから一日一日を大事にやっていくしかない、そう決意できましたよね」
ただ、指導者であることに自信をもてなかったという。サッカーだけをやってきてよかったのかと。そんな安原さんの意識を変えたのは、大学院での教授の励ましの言葉だった。
「社会の中でサッカーなんてちっぽけなもの。でもだからこそ一生懸命やってきたことを大切に。世の中に還元できることはあるはずだから、自信をもちなさい」
サッカーをやってきてよかったのでは、初めてそう思えた瞬間だったという。
教えるんじゃない。一緒に蹴るんだ
試合は好きでも、ボールが好きな子がいない。安原さんが指導者を志したときにまず感じたことだ。ボールが好きで好きでたまらなかった自分の少年時代を考えると、歯がゆかった。だからその楽しさを味わってほしいと考えた。
「こうしなさいとか、教えるもんじゃない。一緒にボールを蹴ってできるようになっていくものだと思う」
可能性を引き出せないで指導を終える。それがいちばんイヤなこと。「あの子はダメ」と判断するより良いところを見つける。そのため、子供たちの癖をつかむことに神経を注いでいる。
「ボールを大切に思い、常に一緒にいてくれるように。いつもそう願っています」
底辺を広げると同時に、トップレベルを上げることにも力を注ぐ。小学4〜6年生を対象にした「特別テクニックスクール」では少人数制で徹底的にテクニックを磨いている。ただそれは、クラブの名を上げるための活動ではない。
底辺を広げると同時に、トップレベルを上げることにも力を注ぐ。小学4〜6年生を対象にした「特別テクニックスクール」では少人数制で徹底的にテクニックを磨いている。ただそれは、クラブの名を上げるための活動ではない。
「あの選手はウチで育てたとか、どうでもいい。むしろほかのクラブと提携して、名古屋地域をもっと盛り上げていきたい。そんな思いからの活動なんです」

| 現在の仕事に就くまでの軌跡 |
| 99年 31歳 |
本田技研のスクールにてコーチの第一歩を踏み出す
現役引退後、引き続き本田技研工業に残り、本田技研のサッカースクールのスタッフに。中学生を指導。
|
| 00年 32歳 |
中京大学の科目等履修生に
週3回くらい講義に通い、コーチング論や運動生理学など「スポーツ・文化社会」を学んだ。 |
| 01年 33歳 |
FC・FERVORのスーパーバイザーに
勉学への意欲がわき、周囲の尽力もあり中京大学大学院に社会人枠で入学。論文テーマは、"Jリーグ選手のセカンドキャリア"について。本田技研勤務が難しくなり、地元である名古屋に戻ることに。現役時代の恩師を通じ、FC・FERVOR(フェルヴォール)の細萱信行氏に出会う。同クラブのスーパーバイザーに就任。 |
■一週間の主なスケジュール
毎週月曜
17:00-18:00 特別テクニックスクール
18:00-19:30 ジュニアユーストレーニング
毎週水・金曜
15:30-16:20 幼児
16:30-17:30 低学年
17:40-19:00 高学年
※週末は試合
■民間クラブコーチになるポイント
- クラブの現状を考え、常に将来像をイメージする
- 明確な指導方針をもつことで、クラブのカラーを明確にする
- 育成・普及に関してのアイデアを常に周囲と話し合う