2006年11月18日
子供のころ、広場でけんかをしていると、親や学校の先生に限らず、近所のおじさん、おばさんに怒鳴られ、私もよくゲンコツをもらったものだ。
子供のグループには必ずと言っていいほど、ガキ大将的存在の男の子がいて、争いごとの仲裁などをしていた。ガキ大将は確かに怖い存在ではあったが、弱い者いじめはしなかった。大人たちも、わが子に限らず、いいところは褒め、悪いことをすれば、なぜいけないのかを諭し、叱ってくれた。
あのころは、家族以外の大人や友達が一つのコミュニティーをつくり、子供たちはそこで多くのことを学んだ。そして、そのコミュニティーは子供たちにとって【心の逃げ場】にもなっていたような気がする。
だが、昔のような近所付き合いが減り、塾に通う子供たちが増え、子供が一人で外を歩くには危険な世の中になった今、人と人との関係は希薄になりがち。昔のような光景を目にする機会も少なくなったように思う。
スポーツ界では、子供を教える立場にある人間は、指導者である前に「等しく一人の教育者であれ」と言われる。これは日本に限らず海外でも同じで、教育とは、決して教科書の勉強を教えることだけではない。子供たちが将来に夢を持ち、得意なものを個性として伸ばし、社会で自立するために、健やかな人間性を培うことであると思う。
子供を育てる責任は、まず親にあると思うが、その育成に、地域社会が昔のようにうまくかかわれないものか。隣のおやじに怒鳴られた経験は、少なからず自分の人格形成に影響を与えた気がする。一人の人間として、次代を担う子供たちに何かを残せないものだろうか。そんなことを最近、考えている。
子供のグループには必ずと言っていいほど、ガキ大将的存在の男の子がいて、争いごとの仲裁などをしていた。ガキ大将は確かに怖い存在ではあったが、弱い者いじめはしなかった。大人たちも、わが子に限らず、いいところは褒め、悪いことをすれば、なぜいけないのかを諭し、叱ってくれた。
あのころは、家族以外の大人や友達が一つのコミュニティーをつくり、子供たちはそこで多くのことを学んだ。そして、そのコミュニティーは子供たちにとって【心の逃げ場】にもなっていたような気がする。
だが、昔のような近所付き合いが減り、塾に通う子供たちが増え、子供が一人で外を歩くには危険な世の中になった今、人と人との関係は希薄になりがち。昔のような光景を目にする機会も少なくなったように思う。
スポーツ界では、子供を教える立場にある人間は、指導者である前に「等しく一人の教育者であれ」と言われる。これは日本に限らず海外でも同じで、教育とは、決して教科書の勉強を教えることだけではない。子供たちが将来に夢を持ち、得意なものを個性として伸ばし、社会で自立するために、健やかな人間性を培うことであると思う。
子供を育てる責任は、まず親にあると思うが、その育成に、地域社会が昔のようにうまくかかわれないものか。隣のおやじに怒鳴られた経験は、少なからず自分の人格形成に影響を与えた気がする。一人の人間として、次代を担う子供たちに何かを残せないものだろうか。そんなことを最近、考えている。
鬼武 健二