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こたけ・のぶゆき
1958年12月31日神奈川県茅ヶ崎市生まれ。81年中央大学法学部法律学科卒、同年株式会社博報堂入社。現在、博報堂法務室・室長代理、(社)日本プロサッカーリーグ理事、選手契約担当者会議委員長、規律委員、(財)日本サッカー協会総務委員会法務部会員、規律・フェアプレー委員会委員 |
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1999年12月8日、東京フォーラムで行われたFIFAワールドカップの予選抽選会に出席した。その際、世界最大の激戦区ヨーロッパ予選の抽選は、やはりメインイベントであった。ヨーロッパ予選のグループ9にイングランドとドイツが共に入ることが決定した瞬間、会場が悲鳴にも似た声で包まれたことを鮮明に覚えている。オーウェンに心ひかれる私は、そのとき「2002年のFIFAワールドカップでオーウェンを見ることができないのか!?」という悲しい図を思い描いてしまったことを今、正直に白状する。
「世代交代に苦しんでいるとはいえ、ドイツはイタリア同様、ひたすらしぶといチームである。ベッカム、オーウェンを擁するイングランドは、近年にない競技力を有しているとはいえドイツの壁を越えられない。そして、ドイツに敗れたショックでグループ2抜け同士のプレーオフにも敗れてしまう・・・」というワーストシナリオを勝手に想像し悲観したのだ。
2001年9月1日、私はミュンヘンのオリンピックスタジアムにいた。出張の日程がドイツ対イングランドの第2戦という宿命対決の日に重なり、DFB(ドイツサッカー連盟)の招待を受ける幸運に恵まれ観戦したのだ。キックオフ直前、騒然とした会場に身を置く私の心臓は、子供の頃の運動会、徒競争スタート前の状況に達していた。他国同士の対戦で、何ゆえこんなに緊張しなければならないのかという不条理感にさいなまれているうちに、著名なイタリアのスキンヘッド・レフェリー、コリーナ氏の笛が高らかに鳴った。
先に行われたホームゲームでドイツに敗れているイングランドは、ドイツにディフェンスを破られ、あっけなく失点。「ほらね!!」と、悲観が現実化しつつあることに落胆する私であった。その後、イングランドが1点を取り振り出しに戻った少しあと、ドイツ側ペナルティエリア内でイングランドが間接フリーキックを得た。レフェリーの笛が鳴り、イングランドがキックした瞬間、後ろで「ドサッ!!」という大きく鈍い音がした。
振り向くと、私達の3列後ろに座っていた70歳前後とおぼしき太った老紳士が倒れた音だった。すると、どこからともなく心臓マッサージをする人(おそらく観客として来ていた医師)が駆け寄り、レスキュー隊の人が酸素ボンベを抱えてやってくる。更には、別のレスキュー隊のスタッフが倒れた人の周りを布で覆い周囲の好奇の目から遮断した。その間わずか1〜2分という手際の良さに驚くとともに、呼吸回復を待って救急車に搬入する際、かなり古いのに、救急車が観客席のすぐ近くのコンコースにまで進入できる設計になっているスタジアムにも驚嘆させられた。救急救命の技術のみならず、急病人の人権にまで最大限配慮できるところはさすが先進国だな・・・と感心する一方、「私ですらこんなに胸を締めつけられるのだから、ましてやドイツのサポーターなり関係者であったら心臓に変調をきたしたとしても仕方ないよなぁ・・・」と、倒れてさも当然と思える状況だった。
試合の結果は、皆さん良くご存知の通り1対5でアウェイ、イングランドの大勝利。近年類例を見ない宿敵の打破に、試合後のイングランドサポーターの歓喜は絶え間なく翌朝まで続いていた。
1994年のアメリカ大会、1998年のフランス大会の試合をそれぞれ何試合かずつ観戦した。しかし、予選抽選会からその実演(試合)までを一気通貫で見て、FIFAワールドカップにおける本番当日の試合は、まさに氷山の一角であり、本当のFIFAワールドカップの魔力は、その下に深く、広く横たわっていることを体で感じた。ジョホール・バルでの日本代表の試合を経てサッカーに深くはまっていった人々が身近にもいる。この氷山の下を構成する部分の世間へのリアルな伝達に勝るサッカーの伝導方法はないはずだ、きっと。
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